公開日:2024.04.19
プロレスラーの藤波辰爾氏(70)(以下「藤波氏」)のお住まいにお邪魔して、住まいやお金に関するお話をフリーアナウンサーの八木亜希子さんが伺いました。
この記事は、SBIシニアの住まいとお金ch(YouTubeチャンネル)で公開されている、「アントニオ猪木の一番弟子!プロレス界を牽引するスターが語る「住まいとお金」【MC:八木亜希子】」を元に作成しています。動画の詳細はこちらをご覧ください。
藤波氏は、1953年12月に大分で生まれた、身長183cm、体重105kgのプロレスラーです。1971年にプロレスデビューを果たし、「ドラゴン」や「炎の飛龍」などのニックネームで親しまれています。
過去には腰痛によって欠場したこともありましたが、リハビリをしてプロレス界に復帰し、年齢が70歳となった今でも現役です。プロレスラーとして活躍する息子やプロゴルファーとして活躍する娘にも負けず、生涯現役を掲げて闘い続けています。
こうした活躍が認められ、アントニオ猪木氏、天龍源一郎氏、ジャイアント馬場氏、ジャンボ鶴田氏、長州力氏と共に、2021年に日本プロレス殿堂会の殿堂入りを果たしました。
藤波氏は若い頃、アントニオ猪木氏の付き人をしていました。藤波氏にとってアントニオ猪木氏は小学生からの憧れでしたが、当時のアントニオ猪木氏は、面と向かって話せないほど怖かったといいます。
ただ、やはり間近で見ていてアントニオ猪木氏のカリスマ性は凄かったといいます。実際にアントニオ猪木氏が新日本プロレスを立ち上げると言い出した時、自分は何が起こっているのかよく分かっていなかったそうです。一方で、アントニオ猪木氏に付いていけば間違いないという確信が当時からあり、アントニオ猪木氏と共に新日本プロレスを興す道を選んだそうです。
藤波氏は当時を振り返り『今思うと狂いはなかったという感じがしますね。』と、笑顔で語りました。
藤波氏が初めて自宅を購入したのは、結婚してすぐだったそうです。その自宅を選んだ決め手となったのは「富士山が見えること」でした。藤波氏は、『色々な建物が建ってきているものの、まだ富士山が見えるもんだから、引っ越す理由はない』と自宅について語りました。
一方で、藤波氏はセカンドハウスを購入されています。このセカンドハウスはたまたま自宅の金魚鉢の水を変えるときに敷いた新聞紙に書いてあった広告で見つけた物件だそうです。最初は実際話のネタにしようと思って内見に行ったところ、一目惚れしてしまい、購入に至ったそうです。
〇藤波氏の自宅(セカンドハウス)外観
>ルームツアー動画も公開しています。詳細はこちらをご覧ください。
藤波氏はどちらも気に入っていて、利便性も良いので住み替えは考えていないものの、リフォームはしたいと考えており、よく奥さんとリフォームについてお話をされるそうです。
本編動画の最後に、藤波氏にとって「住まい」とは何かを伺いました。今もなお現役で闘い続けるプロレスラーであり、家が大好きと語る藤波氏ならではの回答でした。正解は漢字3文字です。ぜひ予想してから本編動画で確認してみてください。
本編動画では、若い頃のエピソードやお住まいについてのこだわりなど、様々なお話を伺っています。ぜひご覧ください。
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